桜の存在をすっかり忘れていた。
まだ20代の頃にお世話になった上司は、
「一度、気体になるまで仕事をしてみると、
見える世界が変わるよ」って言っていた。
その頃の私はまだ遊び足りなくて、
仕事よりプライベートを大切に生きていた。
気体になるまで、がどのくらいか、
具体的に何をしたら気体になるのか、
深く考えず、頭から湯気が出るほど働くことと、
勝手に解釈した。
それは、仕事以外やる事のない寂しい人たちの
悲しい働き方と勝手に決めつけて、
私には関係がないと知らぬフリを通してしまった。
今でもわからない。
気体になるってどういうこと?
桜の存在を忘れるほど働いたから、
それは必死で集中したと言えるけど、
気体になったとは違う気がする。
何度も、もうダメだって涙目になったから、
液体くらいはなったかもしれない。
その人の何気ない発言を今でも思い出すのは、
当時から何か刺さってたのかもしれないな。
私は、何がしたいのかよくわからない。
私は、どうなりたいのかよくわからない。
この世に生まれて死ぬまでを、
壮大なひまつぶしだと言うなら。
今日やっと桜を見た。
たくさんの桜吹雪と、緑の葉っぱ。
ああ、ほんとに遅かった。
彼の最初のメッセージ。
「生きててよかったという瞬間を、
たくさんシェアしよう」
これが今頃になって迫ってくる。
あの頃はまだ、この瞬間が二度と来ないとか、
人生一度きりとか、時間が有限だってこと、
全然わかってなかったから。